思い出は美化される。
こんにちは!
最近「昭和レトロ」という言葉をよく耳にします。
実際に幼少期を過ごした時代がレトロと言われるというのは、なんだか自分がものすごく歳をとったような気がしますが、それと同時に、その時代をリアルに知っていて、家族に「子供の頃はどうだったの?」なんて聞かれると、ちゃんと自分の体験として答えられるというのはなんとなく誇らしいような気がするしゃちょーです。
そんな昭和レトロ。
ファッションとか乗り物とか、ちょっとした商品のラベルとかが、なんとなく昭和っぽい感じになり、当時のものがヴィンテージモノとしてもてはやされ、ちょっとした流行りになっています。
家の近所にある自販機のラインナップも然り。
「レモネード」や「ミルクセーキ」という如何にもな商品に、これまた如何にもなフォントで書かれた商品名。
若い方にはオシャレなんでしょうが、ワタシのようなリアル昭和世代にとっては、「もうちょっとダサい方がより昭和っぽいのに・・・・」なんて思うものがあります。
なんかちょっと違うんだよな、最近の昭和(?)はなんか垢抜けてる感じがします。
そしてふと、ミルクセーキ、飲んでないな。と・・・・・
子供の頃、我が家のお向かいさんは牛乳屋さんでした。
そのお店とは家族ぐるみのお付き合いをしていただいていて、夏場、大玉のスイカを一玉買うと、牛乳屋さんへ行き、業務用の冷蔵庫へ入れて冷やしてもらったり、おばちゃんに「5分だけよ」と許可をもらい、その業務用の冷蔵庫の中で涼ませて頂いたりしたお店。
そんなお店の店先に置いてあった自動販売機のラインナップにあったのがミルクセーキ。
今になって思い起して冷静に考えると、不自然かつ過剰に甘く、なんだかちょっとケミカルな風味がしたような気がするミルクセーキ。
当時のワタシはそんなミルクセーキが大好きで、おねだりして買ってもらってました。
あまりにも頻繁におねだりするワタシを見かねて、母親が「そんなに好きなら、ミルクセーキ、作り方を教えてあげるから、自分で作ってみれば?」と言い出し、作り方を教えてもらいました。
作り方を教えてもらったミルクセーキは、買ったものとは程遠いもので、不自然に甘くなく、ケミカルな感じなどしない、いわばピュアなミルクセーキ、ワタシ的にはジャンクさが足りなかった記憶なのですが、幼いワタシはあることに気付きました。
自分で作るってことは、お砂糖、好きなだけ入れていいんだ!
当時のワタシは今のワタシとは真逆で甘いもの大好きでした。
ここぞとばかりに砂糖を入れ、器の底に溶け切らなかった砂糖が残り、完成したミルクセーキは完全に飲み物ではなく、溶け切らなかった砂糖を咀嚼してから飲み込む食べ物でした。
そして、今になって調べてみると、ミルクセーキを作るのに全卵(卵の黄身と白身両方)を入れるらしいのですが、当時私が教わったレシピは「卵は黄身のみ」を使っていて、必然的に白身が残ります。
残った白身はどうしていたかと言いますと、もちろん捨てずに、小さめなフライパンに油をひき、ジューっと焼いて頂きます。
そう、目玉焼きならぬ白目焼き。
その白目焼きに多めに塩を振り、塩辛い白目焼きをぺろりと頂き、また激甘ミルクセーキを作り、残った白身で白目焼き。
はい、甘いものと塩辛いものの無限ループ完成です。
砂糖と卵とバニラエッセンスの異常消費が母の逆鱗に触れ、(牛乳はOKだった記憶)比較的短い期間で強制終了させられた激甘ミルクセーキブームはワタシの記憶の中に生き続け、気が付けばホワイトチョコブーム、クリーム揚げパンブームと引き継がれ、いつの間にやらワタシの甘いものムーブメント終焉を迎えました。
先ほども書きましたが、近所にある自動販売機には昭和っぽいパッケージのミルクセーキがあります。
買ってみようかなと思うときはありますが、味の好みもメーカーも違うその品では「あの時の感動」は味わえないと思われます。
いや、かえってガッカリしちゃうかもしれません。
初めて飲んだあの時の衝撃というのは、ワタシの中にとっておいて、ネットで画像検索して「これこれ、このパッケージだよ」なんてニヤニヤしているのがちょうどいいのかもしれません。
だって、そういう楽しかった思い出って美化されますから。