12年前、なにしてました?

こんにちは!
12年も経っているのかという見方もできるし、12年しか経っていないという見方もできます。
幼かった家族も大きくなり、いろんなことを話すことが多くなり、12年前のことも話します。
「覚えてる?」と聞くと「ん~・・・・なんとなくね」と答えるということは、当時小さな子供だった彼もなにかしら思うところがあり、身の周りがざわついているのを感じていたのでしょう。
当時ワタシは近居のお客様のお宅にお邪魔していろいろとご提案をさせて頂いていました。
突然襲ってきた揺れに驚き、次の瞬間電気がブツっと切れました。
正確な情報から遮断されたということは、自分の想定内の範囲でしか想像ができないということで、地震の揺れは自分の中では想定内のものとして判断され、「あ、とりあえず帰ります。またご連絡差し上げますね」なんて通常通りのクロージングトークで〆ていました。
自宅に帰ると近所の方々に「アンタ!なにノンビリしてるのよ!」なんて怒られ、「なに?そんな大ごと?」なんてすっとんきょんな返事をし、とりあえず家族の安否確認と被害の把握。
幸いなことに家族が無事で、当時事務所に置いてあった熱帯魚の水槽の水がこぼれていたのと、壁に掛けていた時計が落ちてガラスが割れた程度の被害。
電気が来ないのでテレビは点かず、ラジオも慌てた様子でいろいろと叫んでいました。
きっと状況を把握してないのでしょう。
陽は落ちても電気は回復しないので、コンビニで電池を買い、最後の1つを無事ゲット。
いや、コンビニは電気が来ている。
どうやら停電は我が家周辺だけのようだ。
とにかく情報をと人のいるところへ行かなくてはと漠然と考え、もう一つ、世帯主のワタシが慌てていると家族にいい影響がないという変な自己顕示欲が顔を出し、「よし!お風呂に行こう!人がいればなにかしらの情報が入るし、さっぱりして早く寝て明日に備えよう」と今考えるとダメすぎるリーダーシップを発揮。
そこで初めてテレビを観られて、現状を把握。
別に住んでいる家族の安否確認もできた。
「信号が停電で止まるかもしれない」という情報をゲットできたので、慌てて帰宅。
ちなみにその日の晩御飯は焼きそばでした。
焼きそばなら多少冷めてても美味しく頂けます。
グッジョブ!
本格的な渋滞には巻き込まれませんでしたが、通常では30分程度で帰宅できる道に1時間半かかったのも覚えてます。
家族は2階で就寝、ワタシは庭に停めてある車で就寝。
だいぶ駆け足で書きましたが、当日はこんな感じ。
朝には電気が回復していましたが、大変なのはこれからです。
いろんな映像を観て、いろいろ悲しい思いをして、いろいろと知恵を絞って生活してから12年。
コロナもそうですが、東日本大震災でだいぶ考えが変わりました。
被災したとは言えないような被害しかなかった体験でも必要なこと、心構えいろいろ変わりました。
ワタシは詳しくないのですが、南海トラフ地震というのもかなりの確率で起こるとのこと。
当時幼かった家族の記憶から12年前の大地震の記憶を残しておくように努力するのも大切な役割なような気がします。