諸行無常。

こんにちは!
大吉クンとのお散歩でよくお会いする、いわば犬友の方々の中で、誰がどうしたというのは一切ないアクシデントがありました。
その時や事後の対応を後々になって耳にすると、その方々の人となりというか優しさを感じ、「やはり平時ではない時にその人のホントの姿が見えるものだな」と感心してしまったしゃちょーです。
そんな大吉クンとのお散歩、普段は車移動がメインのワタシの眼にはあまり目に留まらない風景や入ったことのない裏路地に入る機会をくれるので、結構好きな時間なのですが、そのお話はまた別の機会にするとして、そんな散歩中に思ったことのお話にお付き合いください。
自宅から十数メートル離れた所にあるお店の前を通りかかると一枚の張り紙。
「ご愛顧ありがとうございました」と書かれたその張り紙、閉店のお知らせでした。
「う~ん、ここも閉まっちゃうか。ここの息子さん、兄の同級生だったよな。ご主人の年齢から考えれば当たり前のことなんだろうけど、ちょいと寂しいなぁ」なんて思っていると、ワタシの同級生のお父様がやっていたお店も閉店し、取り壊していたのを思い出し、子供の頃から見慣れたあそこの家も更地になって「売地」の看板が出てたという事実を次々に思い出しました。
以前、ここの何処かで街をリユースするのが不動産業だという記事を書きましたが、今日は別観点から・・・・・
正直、諸行無常を感じました。
時間は平等に流れていき、人や物も平等に齢を重ねていく。
必ず順番にどうなるということではないのですが、必ず滅びる時が来て、これまたここの何処かで書きましたが、「一度目の死」を体験する。
毎朝チェックする新聞のお悔やみ欄には3桁の年齢まで頑張ったご長寿さんもいれば、ワタシと同年代やもっと若い方、悲しいことにもっともっと若い方が載っているのを目にします。
理屈じゃないんだろうけど、理屈っぽく考えてみると、「諸行無常」という言葉に辿り着きます。
半ば諦めにも似た感情を含んだ諸行無常。
夢や志を持って立てたお家、齢を重ね、生活のスタイルを変えて不要になり、取り壊しされ、更地になり、また夢や志を持った方が引き継ぐ。
引き継ぐという明確な意思はないけれど、引き継いでいく。
そしてそれは繰り返される。
人にも言えるんじゃないのかな?
後世の人達に何か残せないかな?
どうせなら有難がってもらえるようななにかを残したいな。
諸行無常だよ。
仕方がないよと諦めて傍観するのも一つかもしれないのだけれど、ちょっとそれにはワタシ的にはまだ早いような気がします。
そんなことを考えながら大吉クンと散歩していたら、大吉クンが心配そうにワタシの顔を見ていました。
いつもながら駄文散文で申し訳ございません。