老い。

こんにちは!

 今日は寒いですね。
大吉クンとの朝散歩に出掛けると息が白かったような気がします。
出社前になんとなく見たSNSでは浅間山が初冠雪したとかしないとか・・・・・
今日は寒い寒いが口癖のようになっているしゃちょーです。

 さて、先日のこと。
ちょっと親せきで集まる出来事がありまして、みんなでいろいろとお話したのですが、ワタシが代表して挨拶をしたり、上の世代の親せきにいろいろと相談されたりと、親せきの中でのポジションが上の世代からワタシ達の世代に移行してきたんだと実感しました。
しかしながらよく考えれば、それは当たり前のことで、ワタシやワタシの従弟世代が50代となっている今、その上の世代というのは70~80代。
実務はワタシ達、ワタシ達より上の世代は良き理解者という感じです。

 年齢や持病の関係、運転技術の衰えや免許返納、それにコロナ禍でなかなか会う事ができないワタシ達の上の世代にとっては、お互いの現状を知るいい機会になったのではないかと思います。

 ワタシの中では「あの元気のいいおばさん」も平等に歳をとり、「元気なおばあさん」になっているケースもあればそうでないケースもあり、ご無沙汰してしまって、「そうでない姿」を急に見せられたワタシにはちょっと残酷な現実を突きつけられたような気もしました。

 少々個人的なことですが、ワタシ自身の母は既に鬼籍に入り、ちょっと体が不自由になった父は家の近くの施設でお世話になっています。
「ワタシの従弟達はどうするんだろう?」と踏み込まなくてはいいようなことまで気になってしまいます。
そして、我が家の小さい集まりでも心配なんだから、もう少し視野を広げたらどうなるんだろうか?

 数日前から自宅の近所では一人暮らしだった方が亡くなり、不要となった家の取り壊し工事をやっています。
大吉クンとのお散歩でも「あれ?この前まで家があったよな?」なんて思うこともしばしば。

 以前、「ワタシ達のお仕事は街のリユース」なんてことを書いたことがありますが、それに伴ういろいろな感情を自分の親せきに置き換えて考えるとなかなかどうも一筋縄ではいかないかな。
感情的や感傷に浸って前に進めないのだったら、プロに任せてある意味無機質に淡々と進めてもらった方が早く前を向けるんじゃないだろうか?

 そしてその順番というのはワタシのところへもやってきて、その時にどう思うのだろうか?

 不慮の事故や病気による突然来る終末以外に必ず体験するであろう「老い」というものと上手く付き合っていけるように心と体の準備をしておくには、ワタシの年齢というのは早過ぎるということはないんだよな。
家族から返してもらった赤い自転車に乗り、普段は通らないような細い路地を通りながら、住む人のいなくなったおそらく空き家であろう一軒の家の前でちょっとそんなことを考えたら、顔にあたる風がすごく冷たく感じました。