ダジャレ。
こんにちは!
先週末に発生したネットワークの不具合もなんとか改善してもらい、ワタシの周囲では俗に言う「松の内」も終わって、これまた俗に言う「お正月気分」というのも抜けつつあるように感じるしゃちょーです。
週末はお正月飾りを取り、地元神社へ納めてきました。
飾りつけをしたり、お節料理のお買い物をするときにも思ったのですが、こういった「縁起物」と呼ばれる品々、由来を斜め読みしてみると、ほぼダジャレ。
黒豆=まめに働く、海老=腰が曲がるまで、数の子=子孫繁栄、栗きんとん=富と金運っぽい見た目。
先ほどのように「ダジャレ」と言っては面白みがないのでしょうが、今のように食生活が充実していなかった昔はそれが楽しみだったのでしょうね。
そう考えれば個人的にあまり口に合わない、ニシンやサケが巻かれている昆布巻きも「一通り全部食べなきゃ!縁起物といってもダジャレじゃん?」という義務感も薄れて楽しめたような気がします。
おせちに限らず、日常頂く食事にもいろいろな意味が込められていると個人的に思っています。
そう、ただの栄養補給や空腹を満たすというもの以上の意味。
それがなにかは具体的には表せないのですが、その時の会話だったり、雰囲気だったり、外食だったら店員さんや店内、居合わせたお客さんの雰囲気だったり・・・・・・・
ところで我が家、昨夜は諸々の事情で外食でした。
用事を済ませ、遅くなってもナニなのでと、サクッとお店を決定して入店。
店員さんの気持ちのいい接客で着席。
ご時世柄タッチパネルで注文を済ませ、食事の提供を待ちます。
待ちます・・・・・待ってます。
来ない・・・・・
提供されないことに腹を立て、お店にクレームを入れようかと思ったのですが、「アラヤダ、あそこの家族、食べ物が来ないからってお怒りなのよ。まったく、意地汚いったらありゃしない」と他のお客さんに思われるのも癪なので、ちょっと我慢。
いや、「このコロナ禍で飲食業のアルバイトが募集しても担い手がいないってのを聞いたことがあるぞ」ともうちょっと我慢。
「う~ん・・・・このまま待っていても帰宅時間が遅くなるだけだ!」と意を決して「すみません、注文の確認をお願いできますか?」と聞こうとした瞬間に「お待たせしました」と食事提供。
ただし、ワタシ以外の家族の分のみ。
ちなみにワタシのオーダーしたものは、確実に家族が頼んだものより手間のかからないもの。
それが後回し。
ナンデダイ?
ほどなくして提供されたワタシの夕食は少し煮込まねばならない品で、煮込んでいる間に家族は「ご馳走様」とのこと。
慌てて食べて店を出る。
個人的には「あー食べた気がしない」と言いたいところ、一人だったら言っていた。
その様子を見た家族は「納得いってないでしょ?」とクスクス。
何が悪いって訳じゃないんですよ。
だけど、先ほど書いたように「食事は栄養補給や満腹感を得る以上のもの」とワタシは捉えていて、「確かに腹は膨れたよ!けどさぁ~なんかさぁ~!ん~」という煮込んだはずなのに煮え切らない思いがふつふつと湧いてきた食事。
お後がよろしいようで・・・・・・