雑感。

 こんにちは!
事務所のモッコウバラが咲いたというお話は、先日させていただきました。
今日の暑いくらいの陽気で一気に咲いたようです。(タイトル下の画像参照)
今日のような陽気の日は半袖でもいいんじゃないか?なぁんて思っているしゃちょーです。

 大吉クンのお散歩を1日2回ほど行くのですが、歩いていると取り壊して更地になった土地や空き家になっている家を多く見かけます。

 ワタシが小学生の頃、1クラスが40名前後で1学年が5~6クラスでした。
単純計算で約40(人)×5(クラス)×6(学年)=1,200人。
1,200人で遊ぶには小学校の校庭は狭すぎて、「〇年生と△年生は校庭の西側、◇学年生と◆年生は校庭の東側で遊びましょう」と放送があったり、全校児童でラジオ体操をするにはちょっと考えて並ばないと、隣の子と手がぶつかったりしたりしてました。

 現在はどうかというと、1クラス30数名で3クラス程度の6学年。
約33(人)×3(クラス)×6(学年)=594人
約半分です。

 ワタシが小学生の頃から比べると、半分くらいですね。
同級生や知り合いの実家と呼ばれる家の場所というのは、時が流れてもなんとなく覚えているもので、そこに住んでいる同級生や知り合いの親御さんももれなく歴史を重ねられております。
なかには先ほど書いたように、更地になったり空き家になったり・・・・・・
なんとなく事情を察する事が出来て、少し寂しい気持ちになったりします。

 ですが、そこには新しく家が建ち、歴史を刻む人たちが住み、循環していく。
ワタシ達不動産屋のお仕事というのは、こういう歴史の循環を促すお仕事なんだと思います。
言い方を変えれば、街の新陳代謝を促す仕事と言ってもいいでしょうね。

 まぁ日本の人口というのは減少傾向にありますから、必ずしも循環や代謝できたりしないのかもしれません。
この世界を取り巻く状況、この国を取り巻く状況、ワタシ達の身の周りを取り巻く状況。
それぞれ違うようにも思えますが、共通点も多いような気がします。
遠い世界で思っていることを自分の身の周りに置き換えて想像してみると、他人事とは片づけられない、もう少し真剣に考えなければいけない事にレベルが上がります。

 そこで個人が何をやったら、世界の問題が解決するって事には直結しないかもしれないけど、考えることを止めたらダメな気がするんです。

 非常にまとまりの悪い、何を言いたいかよくわからない文章になってしまいましたが、昔からあるお家がバリバリと音を立てて取り壊されていき、翌日にはキレイな更地になったのを見掛けて、少しセンチメンタルになったり、世の無常を感じたりしたそんな日でした。

 今日は暑いからビールが美味しいだろうなぁ~